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第112回 彫刻の題材〜三国志

 三国志とは中国、後漢王朝が滅亡した後に成立した魏・呉・蜀の成立した時代(220〜280)の三国の歴史書。魏志三十巻、呉志二十巻、蜀志十五巻からなります。現在、日本でもお馴染みの三国志は三国志演義と呼ばれる中国の通俗小説がもととなっています。歴史書である三国志に対し、小説風に読み物としてまとめられたもので、多くの逸話が盛り込ま
亀崎田中組神楽車 前山蟇股
れているのが特徴です。
江戸時代には「通俗三国志」としてまとめられ多く庶民の間でも読まれた様です。
 そうした流行から、山車彫刻にも三国志の数々の名場面が取り入れられ、山車を飾っています。三国志は非常に膨大な分量ですが、凡その流を紹介しましょう。
乙川南山八幡車 壇箱
 中国漢王朝末期、政治は腐敗し各地で反乱が起き戦乱の世になっていきます。各地で英雄が名乗りをあげ群雄割拠しますが、その中でも力を持ってきたのが曹操です。漢朝都を拠点に中国北部を平定していきます。そうした中で漢王朝古の景帝の末裔とする劉備は漢王朝の再興を目指すも未だ領地基盤を持たず、漢王朝を牛耳る曹操の野望を打ち砕かんと、名軍師諸葛亮(孔明)を三顧の礼を以って迎え入れます。孔明の打ち出した計は三国鼎立です。そのころ孫権は中国南部を平定し少しずつ力をつけていました。強大な力を持った曹操に対抗するには劉備に中国西部を取って、孫権と和平を結び曹操に対抗する様勧めます。後に曹操の後を継いだ曹丕が漢の献帝より位を譲り受け魏王朝を打ちたてます。これを認めずと劉備は蜀王朝を打ちたて、そして孫権も呉王朝を打ちたて魏・呉・蜀の三国が成立します。孔明の計三国鼎立は鼎の足は三本で安定している、国も三人の英雄で治めさせようというものです。後に蜀
協和砂子組白山車 脇障子
は魏に滅ぼされ、魏は魏の臣下であった司馬宣が滅ぼし晋王朝が成立、そして晋が呉を平定して中国統一となります。三国志演義では曹操は漢を滅ぼす逆臣、劉備は漢を再興しようとする忠臣として画かれています。そのため蜀は蜀漢とも呼ばれます。山車彫刻でも劉備や孔明そして蜀の武将が数々彫られています。

・主な三国志彫刻
亀崎田中組神楽車 前山蟇股・脇障子
乙川南山八幡車 壇箱
協和砂子組白山車 脇障子
西成岩彦洲組日之出車 壇箱
大谷浜条蓬莱車 前山蟇股 脇障子

個々の場面の解説は順次していきます。

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