[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][祭吉の回想〜子供の頃の想いで]

第86回 祭吉の回想〜子供の頃の想いで」

 最近、親に近所の子供さんが乳母車を「セーラセーラ(常滑の掛け声です)」と曳いてお祭ごっこをして遊んでいたと聞きました。そういえば、自分もそんなことして遊んでいたなと、大変懐かしく昔を思い出しました。そんなことから、祭吉の子供の頃のことで山車祭に関する思い出を紹介していみたいと思います。
・ 山車の車庫巡り
祭吉父子 昭和51年
 私の父は常滑という土地柄、盆栽鉢の職人(山秋製陶・号「小松泉」)をしています。そのため、日曜でもお客さんの接待で仕事の場合が多く、遊びの相手をしてもらえませんでした。しかし、祭好きの私を察してか、よく旧常の山車倉に連れてってくれました。旧常には山車が六台ありますから、全部廻ると結構時間がかかります。毎回、何とも変わりばえしない唯の山車倉ですが、会社の軽トラに親父と二人で乗って、次はどこそこの字だよ、と教えてもらいながら字を六つ覚えたのですね。保育園の頃だったと記憶しています。当時、山方は古い山車倉で、今の場所ではなかったですね。なんとも、安い子供でしたね。きっとこうした子育てが祭吉の原点かもしれません。(笑)
・ 半田のユニー
 日曜といえばよく家族で半田のユニー(現在の名鉄半田駅脇にありました。)へ行きましたね。親父の仕事が終る三時過ぎ。ちょうど四月の日曜日に言ったときです。なんと山車を見たのです。山車といえば旧常しかしらないチビにとっては驚きでしたね。後ろから見ただけでしたが、なんとなく世木の車と似ているなと感じていました。成長して分かったのが上半田南組福神車のお古が世楽車ということ、きっとこの時見た山車は福神車だったのでしょう。どちらも水引は同じ図柄、山本香雲の「松に鷹」です。上半田と旧常の祭は日程が重なりやすいですが、年によっては一週間ずれることがあります。(今年平成12年は同日ですが、昨年は違いました。)きっと、そうしたずれた年の偶然の出来事しょうね。
*講座というわけではありませんが今後も紹介したいと思います。ご意見頂けたら幸いです。
決してネタが尽きたわけではありません。念のため。祭吉

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