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第64回 彫刻題材の検証〜協和・砂子組「白山車」の壇箱

 半田市協和砂子組「白山車」の壇箱の題材は「三国志」と多くの書籍には記載されています。正面
白山車側面のハンカイ
乙川・殿海道山「源氏車」の壇箱
左右の両脇には夫々武将がいて、中央では二人の武人が剣の舞をしています。こうして見ると「三国志」とも言えなくもありません。
 しかし、正面向かって右側には盾を抱えた武人が門を押し開けようとしています。この彫刻とまったく同じ図柄が半田市乙川・殿海道山「源氏車」の壇箱正面に彫られています。源氏車の壇箱は三代立川和四郎富重による「ハンカイの門破り」です。この題材は始皇帝が打ちたてた秦帝国の滅亡末期、項羽と劉邦の話です。この後、劉邦が漢帝国を築き、その漢が衰退し魏、呉、蜀の三国に分かれ覇権を争う物語が三国志となるわけです。項羽と劉邦から三国志の時代まで、その年代差凡そ400年になります。
 白山車の壇箱を「三国志」であるとすると、右側面のハンカイとは辻褄が合いません。確かに「三国志」の中にも二人の武人が剣の舞をする場面があるのですが、「ハンカイの門破り」の話も同様に二人の武人が剣の舞をします。ですから、白山車の壇箱彫刻の題材は「三国志」ではなく「ハンカイの門破り(項羽と劉邦―鴻門の会―)」と見るのです。
 白山車の壇箱は初代彫常(新美常次郎)の作ですが、知多の多くの山車彫刻を手がけた彫常が壇箱の正面に「三国志」を彫り、脇に「ハンカイの門破り」を持ってくるとは考え難いのです。
これは祭吉独自の私見ですが、以前紹介した太平楽・楽人同様に彫常の立川に対する対抗意識が
富山県八尾の曳山彫刻
垣間見えるのです。「ハンカイの門破り」を彫るに際し、立川が正面に彫ったハンカイを側面に持ってきて、物語の中心である項羽と劉邦を対じさせ、動きがある剣の舞を中央に配したと考えられるのです。
立川はハンカイが門を破る様を表し、彫常は鴻門の会の物語全体を表したといえます。立川が彫ったハンカイが門を破る名場面(知多以外の山車にも見られます。)を脇に持ってきて、物語全体を分かりやすく表現したのが彫常の工夫と推察するのです。「ハンカイの門破り(項羽と劉邦―鴻門の会―)」については別の項で詳しく紹介します。
(nova注)
ハンカイはと書きますが,ホームページ上で使うことが出来ない文字です.やむおえず「ハンカイ」とカタカナで表記しておりますがご了承下さい.
白山車の壇箱画像2枚は静岡県磐田郡福田町の三ツ谷様撮影によるものです.また,八尾の画像は祭吉氏撮影です.

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