No.10
03-04-22追加


彫物考〜西山の巻
尾州乙川村


前回の続き
 御隠居の珍説に頭が痛くなったのか、鶴爺と源さん逃げ出してしまいました.
退屈になった御隠居、境内に顔見知りの福ちゃんを見つけた.....
御隠居 「福ちゃん、いいところに来た.この神楽車の壇箱知ってるか?」
「これはこれは御隠居.ご機嫌そうで...
「これですか、『稲穂に鶴』ですね.」
御隠居 「ちょっと変だと思わんか?私には鶴がくわえている米を、おっさんが横取りしようとしてるように見えるんじゃが」
「そう云われてみれば....」
御隠居 「だろ! 忍び足で近づいて鶴を捕まえて食おうとしているのかもしれん」
「鶴って食えるんですかい?」
御隠居 「旨いらしい.『ツルツル、うまうま』というCMがある....」
それはカレーうどんのCM(^_^;)
「ですが、この構図では鶴よりもニワトリのほうが似合いそうですね.」
御隠居 「あっ、そうか!...ニワトリだ.最初はニワトリだったんだ」
「ニワトリ「どこかに居ましたねぇ」
御隠居 「逃げたのだ.捕まえようとして逃げられたのかもな.....」
「ほれ、すぐ隣の南山の壇箱でのんきに餌を食ってる」
「御隠居、それでこのおっさんは鶴は捕まえられたんでしょうかね」
御隠居 「無理にきまっとるじゃろ.こんなヘッピリ腰では....」
「ホレ、殿山の高欄の下を見てみろ.鶴はこうやって捕るんじゃよ」
「あ、ホントだ....」
御隠居 フォッ、フォッ、フォッ、
2度と続かない

注:
 この西山・神楽車の壇箱は今まで「稲穂に鶴」となっていたが、正しくは「鶴の穂落とし」だという.
 皇大神宮(伊勢神宮)鎮座の翌年のこと、鳥の鳴く声が高く聞こえて、昼夜騒がしかった.
不思議に思った倭姫命が大幡主命と舎人紀麻良を見に行かせると、志摩の国伊雑の葦原に、根本は一基なのに先の方は千穂に分かれて茂った稲が生えていた.その稲を白い真名鶴がくわえて鳴いていたそうである.
 それを聞いた倭姫命は「恐れ多いこと.言葉を話せない鳥でさえも、田を作り皇大神に奉ろうとするとは」といい、伊佐波登美神に命じて、その稲を抜穂にして、皇大神の御前に懸け奉ったという.
 これが三重県磯部町の伊雑宮の起源となる伝説である.
祭吉の山車祭講座』もご覧戴きたい.

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