11-10-07更新

亀崎中切組「力神車」山車彫刻修復復元






平成23年6月より半田市亀崎に逗留し、同中切組「力神車」の彫刻修復を手がけられている有馬白匠要治師.
安政2年創業という老舗料亭「望洲楼」の奥座敷に設けられた工房に、有馬師をお訪ねしました.
部屋の隅に積まれた彫刻収納箱の数々.箱に書かれた「上山蛙股・・・」、或いは「文政十年」の文字が力神車の歴史と伝統を感じます.
有馬師は亀崎の浜を望む窓に向かってノミをふるっておられました.
ここでは詳細をお伝えする事は出来ませんが、完成が楽しみな力神車でした.

力神車は現在の亀崎5輛の山車でもっとも古く、文政年間に建造されています.彫刻は二代目立川和四郎冨昌による壇箱「海棠に親子鶏・力神」、脇障子「張子房乗龍・黄石公馬上」など.壇箱の力神に代表される立川流彫刻が見事な山車です.

文政年間に力神車が登場するまでの知多半島の山車は、塗りの山車に彩色された彫刻で飾られていましたが、力神車の白木彫刻が嚆矢となって、以後現在のような近世知多型へ競うように発展したのです.

ところが、力神車は100余年前の明治38年(1905)大店坂で転倒し、彫刻など破損してしまいます.そのとき修理に当たったのが、伊藤松次郎(※1)と新美常次郎(※2)でした.

今回の有馬師による修復は、当時の修理で下絵に忠実ではなかった部分の修正や、破損・欠損部の修復で、下絵をもとに忠実に復元します.

<有馬白匠要治師略歴>
昭和28年山口県徳山市生まれ.昭和48年技能五輪山口県代表に選抜、同年富山県井波町の南部白雲師に師事し10年間の修行で社寺彫刻、欄間彫刻などの技術を習得する.
その後独立して山口県小郡にて工房を開き、制作活動を開始する.

知多半島での主な作品に、上半田南組台輪彫刻等、亀崎田中組神楽車平成大修理、亀崎西組「花王車」前山鬼板、下半田東組「山王車」台輪彫刻、下半田中組「祝鳩車」高欄蹴込、岩滑新田平井組「神明車」高欄蹴込、阿久比町大古根「八幡車」蹴込などがある.

※1【伊藤松次郎】通称彫松という.八代目早瀬長兵衛の弟子で後述する彫常の兄弟子にあたる.
遠州一円に多く作品が残るが、半田市内には数少なく伊藤則光の名で亀崎石橋組青龍車の脇障子がある程度.

※2【新美常次郎】通称彫常.伊藤松次郎同様に八代目彫長の弟子.知多半島一円の山車を数多く手がけており、半田市内をはじめ知多半島の知多型山車のほとんどは彫常が関与しているといわれる.
【早瀬長兵衛】略して彫長、尾張藩御用彫物師で、八代目は亀崎石橋組青龍車の台輪木鼻や持送りなどの作品がある.


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上山の蛙股


上記龍頭部分です.まだ修復前の状態

取材協力:亀崎中切組様、有馬白匠要治師