東照宮祭礼車のからくり人形

湯取車保存会 伊藤剛二

 昔から尾張はからくりの宝庫と言われてきました。
 尾張のからくりは、山車に乗ったからくりが中心で、大部分が文化・文政期を頂点とする江戸時代に製作され、その出発点が、東照宮祭のからくり人形で、さしずめ尾張からくりのふるさとと言うことになります。
 現在、尾張地方には、600体を超えるからくり人形が保存されていますが、江戸時代にこれだけ数多くのからくり人形が作られた記録は、尾張以外には全く見当たりません。
 しかも山車に乗ったからくり人形は、江戸時代の先端技術を代表する精巧な仕掛けが施された、木製のロボットと言ってもおかしくありません。
 情報も知識もはたまた資源すら不足がちの江戸時代にこのようなからくり人形を作り出した技術力。
 この先人の残した尾張からくり文化について、山車祭りを通じ多くの方に知っていただくことが、伝統文化の継承につながっていくものだと思います。

 東照宮祭のからくりは、端唄で名高い十日夷の替え唄に、お祭り盡(尽)しで思い伝う、東照宮祭の唄がありました。この端唄の詩は、からくり人形の特徴を山車の曳行順に表現されています。


猩々車(しょうじょう・本町)

 本町の猩々車は、上山の2体の猩々人形が、酒を呑む仕草をするものです。二人の猩々すなわち大酒飲み(中国で想像上の動物。顔の形は人間に似て毛は赤褐色で長く酒を好む)を配置して、前に大瓶が据えてあります。
女猩々は、柄杓を持って、瓶の酒を汲み盃に移して呑みます。男猩々は、瓶の淵に両手をかけ、頭を瓶の中に入れ成し遂げると、逆立ちとなって酒をしてやるというからくりです。
 傑作なのは、酒瓶の中へ猩々が逆立ちし、顔を上げると赤顔になっているというからくりで、誰しもが笑い出します。

林和靖車(りんなせい・伝馬町)

 伝馬町の林和靖車は、支那の聖人、林和靖(中国、北宋の詩人。西湖中の孤山に隠棲し、梅を妻とし鶴を子として過ごした。)
が鶴をいじめる子供を諫める動物愛護の物語を題材にしたからくりです。
 支那の聖人、林和靖と鶴追いの唐子(中国風の髪形や服装をした子供)一人を据え、前に丹頂鶴一羽を置く傍らに薺籠(なずなかご)があって、鶴は芹を咥え、羽を延ばして働くという仕掛けです。この鶴の活動する姿は、眞に精巧なもので、首の回転が自由自在であり、殊にとりわけ羽虫を取る動作・芹を積んだ葉を取る仕草は、鶴の形容を写し得たもので、生きているそのもののように見えたと伝えてられています。(鶴のからくりは、初代玉屋庄兵衛のからくり)

雷電車(らいでん・和泉町)

 和泉町の雷電車は、橋弁慶車と同じで、屋根がありません。山車の上には、馬に跨がった雷様のからくり人形が乗っています。
 雷電が世に現れたとき、天下泰平五穀成就(世の中がよくおさまり、おだやかであり、人間の主食となる代表的な五種の穀類の願いなどのかなうこと)の御祈祷のため、[萬代不易]いつまでも変わらないことを願って、[神恩]神のめぐみに報じ奉ったのが由来です。
 この車は、操りも無ければ囃子も無く、只太鼓をドコ・ドコ・ドコ・ドコと叩くにつれて、雷は雲と共にグレン・グレンと左右したそうです。

二福神車(にふくじん・長者町)

 長者町は、町名にふさわしい恵比寿・大黒の福の神が売り物の二福神車です。
 蛭子殿(様)が魚を釣り上げ、大黒様が打ち出の小槌で袋を叩くと、この袋が二つに割れて、宝船と変化し、二福神が悦んで戯れるという無邪気な趣向のからくりです。
 なよなよとした、柔らかな人形の作りは、無類な細工で人形師の傑作といわれています。

湯取神子車(ゆとりみこ・桑名町)

 桑名町の湯取神子車は、御幣を持った神職の前で神子さんが湯立て神事を行うからくりです。  白幣を持った神職を据えた、前に忌き竹を立て注連縄を張り、湯立て釜を置き、一人の神子は両手に笹葉を持ち湯立ての神事をするからくりです。
 神子が湯立てするときに、細かい紙切れが沢山用いられ、湯の花として四方へ吹き散らすのは最も面白い趣向で、見事だったそうです。

唐子車(からこ・宮町)

 三人の唐子を据え、内一人は、臺の上に座わり、二人は左右に立って臺の真木(槙・上等の木)を回転します。
 この時二つのゼンマイは舞い出して、それと同時に真ん中の唐子は、枕木と共に段々とせりあがって、唐松の枝に吊るし太鼓を叩く名作のからくりです。

小鍛冶車(こかじ・京町)

 小鍛冶車は、刀を打つ三条小鍛冶の相槌を努める少女が、狐に変わる面かぶりのからくりで、見物を沸かせました。
 京都の刀匠(刀をつくる人)三條小鍛冶宗近が、御剣を打つところに、一人の童女が居て、相槌の最中に狐に変化するという趣向です。
 この童女が狐の面を着けてから、終始反り身となって仰向けとなる態は、何となく野干(狐の別称)の趣は現れて見るが、宗近は一向に平気なもので、見様もせぬといった単純なからくりです。

石橋車(しゃっきょう・中市場町)

 中市場町から出す石橋車のからくり人形は、明和5年に、名人の誉れ高い、竹田藤吉が一度修復し、見違えるようになったそうです。このからくりは、毬を持った唐子人形に獅子が戯れかかる仕掛けになっていますが、獅子人形の重さが、40キロ以上もあるので、三人がかりで、操作したと言われています。左右に岩と牡丹の作り物を飾り、大将は曲禄(法会の際、使用する椅子。背もたれが丸く曲げてあり、四脚は前後を交差させて作り、折り畳めるもの)に座って団扇(軍配)のうちわを持ち、一人の童子は毬を手にして右往左往し、この時獅子は勢い狂い戯れるという趣向のからくりです。

橋弁慶車(はしべんけい・七間町)

 山車の中でも七間町の橋弁慶車が、抜群の人気を集めていました。山車の上部に黒塗りの京の五条大橋を架け、そのため屋根が無いという型破りのものとなっています。
 人形の演技は、京の五條橋の上に武蔵坊弁慶は鎧を着け(坊主天窓)、坊主頭に鉢巻きして、七つ道具を背負い大長刀を持ち振り回し、牛若丸は、太刀を抜いて欄干の上に立ちキリ・キリ・キリと舞いながら、弁慶と戦いするからくりです。