浜松市雄踏地区

08.02.05更新
旧浜名郡雄踏町(現浜松市西区雄踏町宇布見)の息神社の祭りです.

雄踏では屋台を「館車」と呼びます.6輌の館車それぞれが、形態や前歴が異なりバラエティに富んでいます.

中村

小山

一層漆塗りでやや簡素な形態だが、古い掛塚型だという.明治22年に掛塚から購入したと伝えられるが詳細不明.
建造年代不明.

二層で、浜松御殿屋台に似る形式だが、これが原形という.
昭和22年建造.

西ヶ崎

田端

明治25年に知多郡阿久比町横松の大工江原新助によって建造.知多型の形態だが楫棒はなく、上山は6本柱.彫刻は早瀬常弥.

戸数34戸、人口221人という小字ながら昭和11年この館車を新造したという.西ヶ崎館車同様知多型の変形形式.大工江原房吉、脇棟梁江原新助と棟木に記されている.彫刻は初代彫常(新美常治郎).

浅羽

領家

いわゆる江戸型山車で、上層の鉾に須佐之男命の人形を飾る.
元は静岡市の浅間神社「廿日会祭」の祭礼に曳かれた山車で明治36年に建造されている.
明治の終わりか大正の初め頃に購入したという.

箔押・塗りの古式掛塚型.この館車は当初は竜洋町掛塚のも組(本町)の屋台として建造された.明治5年に天竜二俣が掛塚から購入したが、重くて曳くのが困難ということで、明治24年に領下が購入した.舵がなく屋台を持ち上げて方向を変える.
文久3年(1863)以前の建造といわれる.


平成17年静岡市の「大御所400年祭」にあわせて
100年ぶりに里帰りした浅羽館車〜静岡浅間神社

太鼓台


各地区には館車の他に昭和中期から始まった大太鼓を載せた太鼓台がある.


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