浜松市宮口三階屋台の箱書と波の彫刻

雨覆箱

その箱は庚申寺近くの保福寺の鎮守堂の倉庫に残されていました.
そのうちの1つの箱に「下花車」と書かれていたことから、浜松の研究家・矢島勇氏が名古屋の山車関係者に紹介したところ、この山車がかつて名古屋の下花車町の所有だったことが判明しました.
この箱が宮口の三階屋台と名古屋の二福神車を結びつけたのです.


保福寺

倉庫
「唐破風」と書かれた側面
上記の反対側面
「雨覆」・「下花車」
箱の内部側面

干時文政四
辛巳六月
吉祥日
出来
箱の内部側面

町内若キ者之内
大工傳兵衛
同  彦兵衛
日用 伊助
此者作者
参考:「旧広井村下花車の先代山車,浜北で現存!」鬼頭秀明氏

<参考>

箱書きにある「雨覆」とは右写真のような形状で,格子状の枠に油紙を貼ったもので降雨の際に山車の屋根上を覆って使用しました.

(右画像は参考画像であり宮口の山車ではありません.)

波の彫刻

二福神車は「恵比寿・大黒」を乗せ、恵比寿が鯛を釣り上げ、大黒が打ち出の小槌で宝袋を叩くと、宝船が現れるというからくりです.
そのからくりにちなんで、人形の前面に波の彫刻が置かれています.
この波の彫刻は現二福神車で左右の岩に挟まれて取り付けられていますが、上記保福寺の倉庫から雨覆箱の他に、岩の彫刻も発見されました.現二福神車の岩より一回り小さい岩ですが、波の彫刻とピッタリ合致することから、この発見された岩を介して三階屋台にも波の彫刻が取り付けられていたと推定されます.
また、このことから波の彫刻は天保7年(1836)に現二福神車が再造された際に、旧車(三階屋台)の波を引き続き使用したことが判ります.
宮口(或いは二俣か)ではこの欠損した部分に別の彫刻を補充しましたが、そのときに岩は使用されなかったようです.特筆すべきは,山車が名古屋から転々としたにも関わらず、使用されない「岩」が紛失することなく保存されていたことでしょう.
倉庫の片隅に転がっていた利用価値の無くなった旧岩が、離ればなれになって100年以上の時が流れた2輛の山車を結びつけたのです.
そして、このことから宮口の三階屋台も二福神車(二福神を乗せたからくり山車)であり、下花車町では文政4年から山車名が変わらず続いていることも証明されたのです.
この波の彫刻は毎年の宮口まつりには名古屋から運ばれ三階屋台の上に飾られています.

名古屋の現二福神車の岩と波
岩が大きい
三階屋台に旧岩と波の彫刻
を飾ったところ
左右の岩(宮口で保管)と波(名古屋)がぴたりと合う
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