[尾張の山車館]−[岩倉山車まつり] | |
04.01.14更新
中世末期に織田氏の城下町として栄えた岩倉の町は,江戸時代に入ってからも、岩倉街道に沿った集落で,近在の住民を対象とした六斉市が開かれ,また名古屋への農産物供給地として繁栄しました. この岩倉には3台の山車があり,古くから中本町の神明太一社を中心に,毎年旧暦の6月16日前後の6日間祇園祭が行われてきたといわれます. 明治時代まではこの祇園祭に,これら3台の山車が揃って曳かれていましたが,戦後は氏神がそれぞれ別であることから各町内の祭礼として,天王祭(新溝神社),祇園夏祭り(神明大一社).祇園祭(生田神社)と,日を異にしてバラバラに曳き出されるようになりました. 昭和30年代からは,山車の姿も見ることが出来なくなっていましたが,平成3年の岩倉市制20周年を機に3台ともに復活し,翌平成4年には念願の岩倉街道で3台の山車の揃い曳きが実現されました. 40年の時を経て復活した山車.現在は,春の「桜祭り」と夏の「山車夏祭り」に3台の山車の揃い曳きが行われています. |
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からくり人形 | からくり人形 | からくり人形 |
参考資料:「岩倉市史」「岩倉町史」 「岩倉・市政の窓」 「岩倉の山車」岩倉市教育委員会発行 他 |
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