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犬山祭〜宝袋(余坂)

 犬山祭の全13輌の車山のうち,総白木作りはこの宝袋と鍛冶屋町の寿老臺のみで,車山の彫り物は明治3年(1870)に陳里長によって彫られたもので,彫りが荒々しく大型に作られています.
 中山の麾振り人形は通称「余坂のベロ出し」と呼ばれるもので,目玉が二様に変化し,舌を出したり引き込めたりしながら体ごと御幣を左右に振ります.異様な顔つきと青みがかった土色の面相の口から,真っ赤な長い舌を出し,怒りの大きな目玉を剥き出した形相は,一面ユーモラスな面も持ち合わせています.
 なお麾振り人形は,18世紀前半には犬山の各車山につけられていたようですが,その後の改修などによって減少し,現在では宝袋と枝町「遊漁神」にのみ残されています.(平成9年からは魚屋町「真先」にも)
 車山名「宝袋」はからくりの内容から付けられたもので,江戸時代には「二福神」や「大黒車」と呼ばれ,現在でも夜車山の丸提灯には「二福神」と書かれています.
からくりは,大黒天が宝袋に槌をふり下ろすと,袋が割れて中から舟に乗ったえびすが舞い上がるもの.
 平成11年(1999)からくりに因んだ恵比須大黒の水引幕が新調されました.
車山の歴史
 延宝2年(1674)より馬の塔を2匹出し,その2年後に山伏の練り物に変えられました.文化10年(1813)には,練り物に代わって車山が出来,からくりは「二福神」で一説には「山伏・比丘尼」とも言われたようです.
 天保13年(1842)6月に,当時の余坂村内より出た火が折からの風にあおられて大火となり,余坂村は全焼しました.この時の火災により,車山も消失して以後しばらくの間は空白の期間となっています.
 明治3年(1870)になり車山が再造され,からくりも以前のものを再現したと思われる「夷子・大黒二神の舞」です.以後昭和10年(1935)に中幕,昭和31年(1956)に中幕を新調し,昭和51年(1976)には総工費200万円をかけて車山の修復が行われ,現在に至っています. 

水引幕
「恵比須・大黒と宝尽」


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