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犬山祭

03.10.21更新


 白帝城の名で知られる国宝犬山城の麓で繰り広げられる時代絵巻.
 桜が咲き誇るなかで.13輌の豪華な車山と,辻々で繰り広げられるドンデンや車切り!すべての車山にはからくり人形が乗せられ,変化に富んだ演技が見る人を飽きさせない.伝統の犬山祭を車山を中心に紹介します.



犬山祭の歴史
 犬山祭は,針綱神社の祭礼で,寛永12年(1635)に下本町の馬の塔・魚屋町の茶摘みの練り物が出されたのが起源とされます.その6年後,寛永18年(1641)には下本町が馬の塔を車山に変えて人形からくりを奉納するようになりました.
 慶安2年(1649)の頃,二代目犬山城主成瀬隼人正正虎は,魚屋町・下本町・中本町・熊野町・中切村・内田村の氏子が曳いた車山や練り物を見て,「産神を産神と尊ばないのは,城主を城主と敬わないことと同じだ」と諭し,奨励したため,翌年から城下の多くの町村が車山や練り物で参加するようになったものです.その多くは馬の塔・練り物から車山へ,あるいは踊り山を経て車山へと次第に発展したようです.
 その後,太平洋戦争末期の昭和20年(1945)に中止したほかは途切れることなく,360有余年を経て今に伝えられています.
 現在では,針綱神社の祭礼とは別に,車山巡行を中心とした行事は,すべて犬山祭山車保存会を中心として行われています.



車山について
 尾張地方では祭礼に曳き出される祭車は通常「山車(だし)」と呼ばれますが,ここ犬山では「車山」と書き「やま」と呼びます.
 車山は当初台車の上に飾り物を乗せたようなものが,次第に二層,三層へと改良発達し,18世紀前半には現在の車山の原型が完成したようです.
 尾張地方の祭車の起源は名古屋・東照宮祭の山車に始まるといわれますが,この東照宮の祭礼が犬山祭に与えた影響も当然あったと思われます.
 しかし名古屋で発展した名古屋型の山車が二層であるのに対し,ここ犬山では独自の発展を遂げ三層の車山へと変化しております.
 このような,いわゆる犬山型の山車は当地以外でも近在の楽田(犬山市),今伊勢(一宮市)でも見ることが出来ます.

車山の詳細

枝町 魚屋町 下本町 中本町 熊野町 新町 本町
遊漁神 眞先 應合子 西応母 住吉臺 浦島 咸英
ゆうぎょしん まっさき おうごうし せいおうぼ すみよしだい うらしま かんえい
からくり からくり からくり からくり からくり からくり からくり

練屋町 鍛冶屋町 名栗町 寺内町 余坂 外町   
国香欄 寿老臺 絳英 老松 宝袋 梅梢戯   
こっこうらん じゅろうだい ほうえい ろうしょう ほうてい ばいしょうぎ   
からくり からくり からくり からくり からくり からくり

お詫び

 からくり人形のi画像の多くは,「秋の犬山お城まつり・からくり夢競演」にて撮影したものです.車山で行われるからくりとは,一部配置が異なります.
 また,各車山のからくり人形ページの解説紹介文は,許可を得て犬山祭保存会からくり委員会の解説資料を転載させていただきました.

参考資料: 犬山市史
犬山お城まつり実行委員会発行「犬山祭」パンフレット
犬山祭保存会からくり委員会編集「からくり解説集」
犬山祭保存会からくり委員会「からくり夢競演解説台本」
山崎構成著「曳山の人形戯」 他 

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