尾張の山車まつりへ [三河の山車館][鶴ヶ崎地区]

00/01/19

碧南市新川・鶴ヶ崎地区〜「玉車」   

  

半田市亀崎の潮干祭の行われる浜辺から衣浦湾を隔てた対岸.距離にして1Km前後でしょうか,そこが今回紹介する碧南市新川の鶴ヶ崎です.戦前までは碧海郡新川町と呼ばれ旧国名では三河に属します.ちょうど衣浦湾を境に西側の碧南が三河で東側にあたる亀崎は尾張になるわけです.
そのお隣亀崎の山車が,ここ鶴ヶ崎の山神社・浅間社の祭礼に曳かれています.
元治元年(1864)東組の宮本車を譲り受けたもので玉車と名付けられました.前山の龍の彫刻が文化5年(1822)に彫られた記録があることからその前後の時期の建造と推定されます.(現在亀崎にある宮本車は元治元年の建造)

山車の特徴
山車は知多型古式の特徴を多く残しています.つまり彫刻は金箔押しと極彩色によって飾られ,現在の半田市など知多半島に多く存在する白木彫刻の山車とは印象が大きく異なります.尾張藩御用彫刻師・早瀬長兵衛吉政(6代目彫長)による前山の虹梁や高欄の龍,現亀崎宮本車と同様の堆朱の4本柱などすばらしいものです.


山車彫刻の詳細
玉車の曳き廻し

亀崎東組の新旧宮本車

玉車(旧宮本車) 亀崎・東組の現「宮本車」

玉車の前面

台輪木鼻
亀崎・宮本車によく似ております.
ゴマ(車輪)も亀崎同様衣浦湾の海岸に埋めて保存しているとのことです.
三番叟人形
前棚で演じられる三番叟です.

参考資料
碧南市史・阿久比町史・半田市誌等
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