[知多の山車館]−[横松] | |
04-12-05更新
山車の破損と伊勢湾台風のため,昭和35年から山車の曳き廻しは中止されていましたが,平成4年に33年振りに復活しました. 現在の山車の建造は定かではありませんが,当横松地区は堂宮大工岸幕・江原両家の本拠地でもあり地区の依頼で山車を建造した際に代金の一部として旧車を引き取る例も多かったといわれ、過去にここ横松で自村の山車を新造した記録はありません. 現在の山車も大型であり乙川の山車を改造したのではないかともいわれます. 横松大工に萩左官,宮津酒六 阿久比は江戸時代からすぐれた職人が多く輩出,なかでも横松地区は近郷より「横松大工」と呼ばれ,その技術を高く評価されていました.神社仏閣の建築を主とする堂宮大工は知多地方の山車造営に欠くことの出来ない存在でした. 堂宮大工に岸幕・江原両家があり,それぞれ亀崎・乙川をはじめ知多各地の山車を手がけていました. これらの地域は畑の耕作面積が少なく,農閑期の副業が盛んであったためといわれます. |
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