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19-08-25更新

浜に5輛の華が咲く~亀崎潮干祭

半田市亀崎地区の神前神社(かみさきじんじゃ)の春の祭礼、5輛の山車が浜に曳き下ろされることから「潮干祭」と呼ばれます。
3月中旬に乙川地区に始まった半田市内各地の春祭りは、トリをつとめるこの潮干祭でいよいよ大詰めを迎えます。

曳き出される5輛の山車は、亀崎がかつて醸造、海運で栄えたその財力で、工芸文化の粋を集めて作られた山車であり、この地方の山車祭礼の中心的存在となっています。

テスト


彫刻は諏訪の名工立川和四郎冨昌や常蔵昌敬の立川流、瀬川治助、新美常次郎(初代彫常)らによる精緻な彫刻で彩られ、山車幕は著名な画家の下絵による豪華な刺繍が施されています。

また山車の前棚と上山には、それぞれからくり人形を乗せ、なかでも竹田からくりの生きた化石と言われる「傀儡師」や桜の枝を次々に渡る「綾渡りのからくり」など見所のひとつとなっています。

この亀崎潮干祭は古くからの祭りの伝統が受け継がれた歴史ある祭りとして認められ、平成18年に「亀崎潮干祭の山車行事」が国の重要無形民俗文化財に指定されました。
また平成28年には全国33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録されています。

・愛知県有形民俗文化財
・ユネスコ無形文化遺産登録
・国重要無形民俗文化財

■祭礼日
5月3日(初の日)・4日(後の日)
■交通
JR武豊線亀崎駅下車 ・臨時駐車場あり
■見所
海浜への曳き下ろし.巡行路での曳き廻し
 
彫刻や刺繍の山車装飾、からくり人形

■山車の詳細

潮干祭には神前神社に近い東組から西組までの5組5輛の山車(やまぐるま・おくるま)が登場します。

※リニューアル作業中です。順次新しいページに差し替え予定ですが、気長に長期計画にて・・・

■潮干祭の歴史

祭りの起源やこの亀崎にいつ山車が登場したのかは定かではありません。一説には『応仁から文明の頃この地に移り住んだ武家により荷車様の物に笹竹を立て曳き廻した』という伝承が起源といわれます。

記録に残るのは中切組に保存されている資料で天明3年(1783)にはその歴史が確認でき、少なくともそれ以前から祭礼が続けられていたことは明らかです。

■海浜曳き下ろし

潮干祭はその昔、神前神社の祭神である神武天皇が東征の折に、海からこの地に上陸したとの伝説にちなんで、5輌の山車を浜へ曳き下ろしたことからこの名がつけられたといわれます。

実際には古くは神社の社前から御旅所への陸路がなく、引き潮の浜辺に山車を曳き渡すしか方法がなかったからのようです。

昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風で市街をはじめ海岸も大きな被害を受け、その後の復旧工事と護岸整備や国道(247号線)の開通によって山車を曳き下ろすことができなくなりました。
しかし平成5年1993)神前神社前の浜に人工海浜が完成し、防波堤の一部を切り取ることでかつての祭礼様式である山車を海浜に曳き下ろす勇壮な祭りが復活しました。

■伝統

全国的(尾張地方でも)に祭礼組織は地縁(地域・地区)ごとにまとまって運営されていますが、亀崎(近隣の乙川も)では古来からの組組織によって守り伝えられています。
祭りにおける人手不足が深刻になるなかで、多くの祭人の参加によって活気あふれる潮干祭が続くのは伝統的な組組織による運営が機能している証でしょうか。

組は東組、石橋組、中切組、田中組、西組と町が発展するにつれ西に広がりましたが、これらの組に所属する組員はその居住地に制約されていません。当初は地割りの組組織だったものが、現在に続いているのだと思われます。

また近年の少子化にともない女性も祭礼に参加する例が増えてきましたが、亀崎では現在も「女人禁制」を崩すことなく運営されています。

■車元制度

準備中

■先代の山車

亀崎の山車はその豪華さを競い、幾度も造り替えられて今日の姿になったものです。
そのため古くなった旧車は周辺各地に譲られて、今も各地に現存して祭礼に曳かれています。

旧東組山車

碧南市鶴ヶ崎

旧石橋組山車

碧南市新須磨

旧田中組山車

碧南市大浜

旧西組山車

知多市北粕谷

■山車の装飾

各組別の詳細をご覧下さい

■潮干祭キーワード

県社 代参会 大店坂 大川 ゴッサン ゴマ ・・・  ※準備中

■潮干祭ギャラリー

五輛揃った写真を集めてみました。

■潮干祭まつり紀行

参考資料:亀崎潮干祭総合調査報告書(亀﨑潮干祭国指定推進委員会)半田市史(半田市)、亀崎町史、中切組史(中切組)、青龍車と車元の1年(石橋組)、「潮干祭」亀崎潮干祭代参会

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