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武豊・長尾部〜馬場「長北車」


 この山車は文政10年(1827)に碧海郡上郷村(現豊田市)で建造したものを大正14年に馬場が300円で譲り受けたました.建造時は挙母型の山車だったのを,台輪を取り替え、外輪から一般的な知多型同様の内輪式にしたものです.これは狭い馬場地区の道路でも曳き廻せるようにした為で,外輪の外面一杯に張り出していた前山・上山の屋根も両端を切り落とすなど改造を加えました.
長北車名の由来
 馬場に山車がなかった時代,長尾村の祭礼に「長北社」という旗を揚げて花火を打ち上げていました.これは長尾の北部落の社から名付けられたと言い伝えられています.その後山車の曳き廻しに代わり、現在に引き継がれていますが,この長北社に因み「長北車」となづけられました.
台輪
 念願の山車を買い入れた当時馬場は総戸数53戸でしたが,総出で台輪の原木(欅)を伊勢より武豊港へ荷揚げしたそうです.
長北車の山車彫刻詳細

水引幕
「青地竹に雀の刺繍」
追幕
「赤地に長北車の刺繍」

上で述べたように,この山車は上山・前山の破風を切り取る改造を施されています.その為か知多半島で見られる一般的な山車の屋根形状といささか趣が異なります.
また,当然ただ切り落とすだけではなく,関係する多くの箇所に手を加える事になった訳で,この改造に参加した初代彫常師が高欄を狭めるにあたり,苦心して細工した痕跡が各所に残っているとのことです.


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