尾張の山車まつりへ [知多の山車館]−[阿久比町宮津]

知多の山車館〜阿久比町宮津地区

05-12-09更新

 古くは阿久比の海岸線は現在よりも山側に入り込んでおり,宮津も衣浦湾に面していたといいます.
宮津は古くからの熱田社領で,港として栄えていたことから「宮の津」と呼ばれ,現在の宮津の地名の基となっています.
 この宮津の氏神熱田神社の祭礼には,宝暦年間から山車があったといわれ,情緒ある土蔵造りの家々をぬって2台の山車が曳かれます.

 宮津・北組 宮津・南組
北組の彫刻 南組の彫刻
からくり人形  

萩左官に横松大工...

宮津の山車

古くからの町並みは狭く,大型の山車では曳き廻すことは出来ないため,道幅に合わせたやや細身の知多型です.

常舞台
阿久比町内には常舞台と呼ばれる神楽殿が各地区の神社に多く残されています.右の宮津熱田社の常舞台は弘化3年(1846)に改築の棟札が残されており,昭和30年頃までは村芝居も行われていたそうです.

参考資料:阿久比町誌,半田市誌
阿久比の風土,あぐいのあゆみ他
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